[本]博士の愛した数式

昨年読んだ本の中で、すごく良かったなあと思える作品だった。
記憶が80分しか持たない数学者と、家政婦親子の心のふれあいを描いた物語。

とにかく、文章が美しい。何かすごいことが起きて大仰に感動させるような話でもないのに、綴られる美しい言葉に、読んでて涙が止まらなかった。
全編に流れるのは、人の心の優しさ。こうも人というのは互いのことをいたわり合えるのか、と思った。

物語の中で、”野球”の存在が重要なポイントとなっている。阪神、江夏、野球カード。

映画版も素晴らしかった。原作のやわらかな雰囲気が画面からあふれ出ていたし、寺尾聰と深津絵里という配役も絶妙だった。この二人以外には考えられない。

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[本]アルケミスト―夢を旅した少年

 パウロ・コエーリョという、ポルトガルのベストセラー作家の小説。
 私の人生のバイブルといってもいいぐらい、何度も読み返し、いつまでも心に残り続ける一冊である。

 1988年に出版、日本での初版は1994年。
 羊飼いの少年サンチャゴが、夢のお告げに従ってスペインからエジプトまでを旅し、宝物を手に入れるという、一見童話風の話である。

 物語はサンチャゴが旅の途中で出会う人たちや様々な苦難、喜びを描いた魅力的なストーリーだが、共に印象的なのは、その中で様々な登場人物たちが語りかける、珠玉の言葉の数々にある。

 この本を読んだ人は、様々なことをそこから感じ取るだろう。自分は何のために生まれてきたのか、どうすれば夢がかなうのか、自分にとっての幸せとは何なのか――それは誰もが感じる問いであり、サンチャゴ少年と共に砂漠を旅しながら、自分の心を見つめずにはいられない。それぐらい、読み手にいろんなことを語りかけてくれる本だと思う。

 私がこの本を最初に読んで強く感じたのは、人生に起きる様々な出来事は、必ずそこに何らかの意味があるということである。それが良い事でも災難でも、自分に向けられたメッセージだと思えば、そこから何かを学びとることができる。
 またそれは、心ひとつで目の前の風景は違って見える、ということでもある。暗いトンネルの中にいると感じていても、ふと見上げれば美しい青空が広がっていたりするものだ。その為には自分の心に耳を傾けばければならない。

 久しぶりに読み返してみて、この本はまた違った風景を見せてくれた。
 宝物を求めて砂漠を渡る人生、安住の地に留まって穏やかな幸せを送る人生。この物語には二通りの人間が登場する。サンチャゴ少年も、旅に出るまでは羊飼いとして幸せな人生を送っていた。
 人の生き方としてどちらが優劣ということではないだろう。どちらが自分にとって本当の運命であり、本当の幸せと感じるのか――少年は夢のお告げを運命だと感じたから、それを選んだにすぎない。

 また、何かを手に入れるためには、今持っている大切なものを手放さなければいけない、ということも描かれている。冒頭で少年は旅に出るために、大切な羊を手放し、旅の途中で様々な犠牲を払う。


 もちろん、純粋にファンタジーとして楽しむこともできる。ハラハラするような冒険、一人の女性との出会い、そしてクライマックスで少年が”風になる”シーンの描写は、圧巻というよりほかにない。


 さて、この物語には思いもつかない素晴らしい結末が用意されている。大切なのは少年が何を手に入れたかということではなく、その道のりで何を感じ、何を学んだか、ということであると、私は思う。


Alchemist
アルケミスト―夢を旅した少年: パウロ コエーリョ, 山川 紘矢, 山川 亜希子: Amazon.co.jp
Amazon.co.jp: アルケミスト (角川文庫)

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[本]陰日向に咲く

劇団ひとりの作によるベストセラー。
当初ネタ本を出版する予定で書き進めていたものが膨らんで、二年の歳月をかけて小説として書き上げたという。

短編オムニバスという形式を取りながら、それぞれの登場人物が細い糸で繋がっているという、ちょっとした仕掛けのある構成になっている。この辺がうまいと思う。
描かれているのはどれも、どこか人生がうまくいってない人たち。そういう人たちに訪れる出会いや小さな幸せ、ほろ苦い悲哀を、実にあたたかい視線で綴っている。特に後半の、”母の手紙”のくだりには泣かされた。

小説家の書いた作品ではないので、文章は簡潔で、読みやすいものになっている。普段小説を読み慣れない人にも、入っていき易いんじゃなだろうか。

おもしろいのは、文末の解説。”川島壮八”ってどこの評論家と思ったら、作者のお父さんだった。


映画版はこの原作をベースにしながら、細かい設定変更などを加えて、再構築されている。映画もすごく良かったが、個人的には原作の方が味わい深く楽しめた。

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今年読んだ本(2008)

<小説>

自由死刑/島田雅彦
四つの嘘/大石静
宿命/東野圭吾
予知夢/同
容疑者Xの献身/同
チーム・バチスタの栄光(上下)/海堂尊
博士の愛した数式/小川洋子

プリズン・ホテル全四巻/浅田次郎
憑神/同
壬生義士伝(上)/同
四日間の奇蹟/浅倉卓弥
風の果て(上下)/藤沢周平
すいかの匂い/江國香織
きらきらひかる/同
体は全部知っている/吉本ばなな
彌太郎さんの話/山田太一
ぶらんこ乗り/いしいしんじ

<漫画>
ブラッディ・マンデイ(1)(恵広史/龍門諒)

<他・再読>
キェシロフスキの世界/K・キェシロフスキ
アルケミスト/パウロ・コエーリョ

<今読んでる本>
陰日向に咲く/劇団ひとり
告白/湊かなえ

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ここに挙げた本はどれも秀作ばかりだが、こうして振り返ってみると一番心に残ったのは、小川洋子の「博士の愛した数式」だろうか。映画版も素晴らしかった。
とくにお涙頂戴の感動物語、というわけではないのだが、その文章のあまりの美しさに、読んでて涙が止まらなかった。ものすごく優しい気持ちになれる作品だった。ああこうも人というのはお互いのことを大切に思いあえるのか、と思った。
80分しか記憶が持たない天才数学者と、家政婦親子の物語という着想も、素晴らしい。

今読んでいる「陰日向に咲く」も実に愛すべき、良い作品だ。
「告白」は最近の話題作、あちこちで絶賛の声と共に紹介されてて、これは読まないわけにはいかない、と思って思わず購入した。新人作家とは思えない筆力。

他にも読みたい本がたくさんあって、いったいどれから手をつけて良いのやら、目移りして困る。

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島田雅彦「自由死刑」

ドラマ「あしたの、喜多善男」の原作。

一週間後(ドラマでは11日後)、自らに死刑を執行しようと決めた男の、金曜から次の金曜までが、各曜日に章立てされて書かれている。
なぜ死のうと思ったのか、思いつめるほどのつらい出来事があったわけではない。強いていうならば、生きてることに飽きたから。
逆に死ぬ理由を考える余裕があれば死んだりしない、と作者はあとがきの中で述べている。人間誰でも一度や二度は死の誘惑にかられるものだ、人にはそういう「死に欲」のようなものがあるのではないか、食欲や性欲と同じように――と。


あと一週間で死ぬとしたら、どのようにして最後の時を過ごすか?ハリウッド映画なら命の大切さを訴えかけるような感動的なヒューマンドラマになるだろうが、この小説はそういった類のものではない。
酒池肉林、温泉旅行、昔の恋人との再会、憧れのアイドルと一夜を過ごす……主人公・喜多善男の考えることは下世話で、現実的である。

そんな中で彼は様々な人たちと出会い、いろんな目にあう。生命保険をかけられたり、臓器を売られかけたり、誘拐犯になってしまったり、ジェットコースターのような一週間だ。しかしそこには死に向かう男の悲壮感というよりも、どこか滑稽さが漂う。

自殺や死を神秘的で悲しく美しい物語ではなく、シニカルでユーモラスな物語に仕立て上げているところが、この小説のユニークなところでもあり、よりリアルに感じさせる部分である。文体も乾いていて、皮肉っぽい。作者は最初、これをチャップリンやキートンばりのコメディにしようと画策していたようである。


ちなみに、ドラマ版は原作の骨組みを残しながら、全く違った物語になっている。逆に、この原作をああいうサスペンスに仕立て直した飯田譲治(脚本)は、すごいと思う。
もちろん、八代平太や宵町しのぶ、みずほ、殺し屋といった重要な人物はどちらにも登場するが、それぞれのたどる運命は全く違う。
八代平太は酷い目に合うし、みずほはドラマ版とはまた違った意味で過酷な人生を歩んでいる。宵町しのぶと喜多善男は、原作の方がより深い関係になっている。中盤なんか喜多善男と宵町しのぶのラブストーリーだし、後半では喜多善男がマリファナ吸ってラリったりする。さすがにこの部分はドラマ化できないだろう。エロティックな描写もしばしば出てくる。刺激的だ。

そして、原作には全く違った結末が待っている。


文庫版の装丁が、実におもしろい。作者が枯れたススキか何かの原っぱで、ダンボールから上半身を出し、木の枝をタバコみたいにかまえて、遠くを見ている。タレント本でもないのに、著者の写真が表紙になってる本って、少なくとも私はほとんど見たことがないのだが。

Amazon.co.jp: 自由死刑 (集英社文庫): 島田 雅彦: 本

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[本]容疑者Xの献身

まず行動描写の緻密さに引き込まれた。それは登場人物の一挙手一投足も見逃すまいというぐらいの細やかさだ。

やはり、哀しい読後感の残る物語だった。
それは涙を誘うことも許さない、乾いた哀しみである。

映画版ではあまり詳しく語られてはいなかった犯人・石神の、天才数学者でありながら不遇の人生を送らざるを得なかった経緯や、人生に絶望し死を選ぼうとした時の心情などが、より詳しく語られている。

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[本]四つの嘘

 夏に放送していたドラマの原作。作者は共に大石静。
 最近読んだ本の中でもピカイチの面白さだった。

 まず、文章がリズミカルでうまい。脚本家らしいビジュアル感、ハッとするような一行、女性たちの他愛ない会話の面白さ、きめ細やかな心理描写。女性作家ならではの表現が随所に見られて、グイグイと読ませる力があった。
 
 ドラマ版は原作の骨組みだけを残して新たなエピソードを書き加えたといった感じで、お互いが補完し合ってひとつの物語を形作っている。どちらを先に見ても楽しめるようになっていて、実にうまく作ってあるなあと思った。

 原作の方がもちろん、表現や展開はハードだ。こりゃテレビじゃできないよなあっていうような場面も多々あった。


 物語は四人の主人公の少女時代と二十三年後の間を行ったり来たりしながら進んでいくのだが、大きな時の流れを自在に行き来しながら読者を手玉に取り、どんどん振り回していってくれる。気が付くと作者の術中にまんまとハマってしまうというわけだ。

 また、手法として面白いのは、視点の変化。
 小説ではよくあるやり方だが、同じ時系列の出来事を違った視点から二度描いたり、またはエピソードの途中で視点を転換させることによって、Aの視点では見えなかった心理がBの視点で見えたり、隠されていた謎が明かされたりといった仕掛けになっていて、これもうまい。


 性描写もふんだんに出てくるが、ドキッとさせるような表現がありながらもいやらしすぎず、ほどよいバランスで、物語の中で必然性があるというか、ストーリーの牽引力のひとつになっている。
 特に思春期の女の子が初めて男に抱きしめられてキスをされるくだりは、読んでてドキドキした。

 主人公・原詩文の小悪魔っぷりがこの作品の一番の魅力だが、原作では、いかにしてそういう女性にならざるを得なかったかという背景――彼女が少女の頃から感じていた虚無感や絶望感――を丁寧に描いていて、ただ小悪魔なだけじゃない、多面的で憎めないキャラクターに仕上がっている。

 ドラマでは最後に彼女の母親らしさや、穏やかな生活の中に幸せを見出すといった一面が違った形で描かれていて、それも面白かったが、原作では欲望に忠実に生きてきた彼女が、人生のどんづまりにハマってしまったことに気づくわけで、個人的にはこの辺りが一番グッとくる場面だった。


 タイトルのとおりこの話には「嘘」がいっぱい出てくるわけだが、相手を騙し貶めるための嘘だけでなく、自分や誰かを守る為の嘘、追い詰められて思わずついてしまった嘘、周到に計画された渾身の嘘、相手の秘密を聞き出す為の嘘、などいろいろな嘘が出てくる。

「嘘なんか、誰だってつくわよ――」
 主人公の台詞が示すように、嘘の中にこそ人間の本質が潜んでいるんではないか、そんなことを思わずにはいられない一冊だ。


Amazon.co.jp: 四つの嘘 (幻冬舎文庫 お 20-3): 大石 静: 本

Yottunouso


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[本]キェシロフスキの世界

 ポーランドの映画監督・クシシュトフ・キェシロフスキ(1941-1996)のロングインタビューを元に、生い立ちから映画の世界に入ったきっかけ、ドキュメンタリー時代の各作品から遺作「トリコロール三部作」に至るまでの作品解説や撮影裏話などを綴った、いわば彼の自伝的な本である。
 1996年の初版を買って以来、手元に置いている愛読書のひとつ。「デカローグ」を再見する機会があったので、最近また読み返した。

 この本を読むと、あの独特の作風がどこから来ているのか、その一端が見て取れる。
 父が病弱だったため家庭は貧しく、あちこちのサナトリウムを放浪同然に転々とした子供時代が、彼の人格や作風に大きく影響したことは間違いない。本書の発言からも、彼が悲観的で気難しい性格であることが随所に垣間見える。そうでありながら、彼の温かく誠実な人柄もうかがい知ることができる。
 その重苦しさと温かさ――彼の人柄そのものが、作品の魅力になっていることは明らかだ。


 本書の前半ではドキュメンタリー時代、共産主義政権下で様々な壁や困難・制約と闘いながら映画を撮っていた頃のエピソードが数多く語られていて、非常に興味深い。
 特に検閲の問題はやはり重大で、フィルムの没収や取調べといったことが日常的に行われていたようだ。
 そういった検閲と向き合い、時には様々な策を講じてうまくかいくぐりながら、つまり表面的には検閲に合格するような作品でありながら、彼はありのままのポーランドを描こうと努力し、観客はそこから無言のメッセージを感じ取っていたのである。

 西側に移ってからは検閲の制約はなくなったが、その代わり”経済的検閲”、つまり観客に受ける作品を作るとか、興行収入を得るとかといった新たな制約と向き合うことになった、と述べているのが、実に面白い。また、こういった制約があることが、映画を作る上で大切である、とも言っている。
 何の制約もなく自由に映画を作ってしまえば、それはただ金を使って、身近にいる友人のためだけの映画になる恐れがある、制限や妥協がある種の創意工夫を生み出し、作品にエネルギーを吹き込む、というのだ。


 キェシロフスキ作品の通奏低音として流れているテーマは、「運命」だと思う。つまり監督の言葉を借りれば、自分の居場所を失い、どのようにして生きたらよいのかを必死になって捜し求めている人、を主題にしている。 

 彼の綴る物語の主人公の多くが、あらがいようのない人間の運命と向き合い、時には立ち尽くし、時にはもがき苦しむ。そういった人物を撮る監督の視点は時に温かで、時に冷酷である。
 観客はその中に、自分自身を見出すのである。そして、その画面の奥底から沸きあがってくる問いかけ――つまり、「人間とは何か?」といった根源的な問いを感じずにはいられない。
 
 監督の作品のほとんどは暗鬱で重苦しく、哲学的である。見る人によっては退屈で難解、”説教臭い”と感じる人がいるかもしれない。しかしそれは彼の作品に対する表層的な印象でしかない。
 たしかに、セリフや説明的な場面は極限までそぎ落とされ、抑えた表現と演出手法で、独特の間合いを保ちながら物語が進行し、これといった結論や結末を提示しないまま映画は終わっていく。

 彼は勝利や成功を描こうとはしない。むしろ人間の弱さ、敗北、理屈や理性では捉え切れない何か――監督が文字どおり生涯をかけて臨んだのは、人間の内部にあるものをとらえ、描こうとする試みと努力であり、そこには当然答えはないから、彼の作品の結末にも答えはない。

 しかし、監督は決して観客を突き放そうとはしていない。常に何かを語りかけ、観客に寄り添おうとしている。その問いの答えがすぐには分からなくても、何かを伝えようとする痛々しいまでの想いがひしひしと伝わってくるからこそ、彼の映画は魅力的で、見終わった後いつまでも心に残り続けるのだと思う。

 本書の中でも彼は、どうやったら観客をひきつけられるかを考え、常に観客のことを考えなければならない、と繰り返し説いている。
 伝えたいストーリーやメッセージがなければ映画を作ることなんて意味がない、ただ映画を作りたいから映画を作るというのであれば、それはごく内輪受けのつまらない映画になってしまう、それは映画監督の犯しうる最大の罪であると、かなり厳しい口調で語っている。


かえすがえすも残念なのは、監督が54歳でこの世を去ってしまったことである。ダンテの「神曲」をモチーフにした三部作の脚本にとりかかっていたが、監督自身の手で映像化されることはなかった。


クシシュトフ・キェシロフスキ - Wikipedia

Amazon.co.jp: キェシロフスキの世界
Amazon.co.jp: キェシロフスキ・コレクションI プレミアムBOX

Krzysztof_kieslowski


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[本]三屋清左衛門残日録

藤沢周平作。
久々に小説を没頭して読んだ。約十四年ぶりの再読。

主人公は三屋清左衛門という、五十歳過ぎで隠居したばかりの武士。
ある藩で、藩主のご用人まで上り詰めた男だ。
彼は隠居するにあたり、「残日録」と題された日記を付け始めるところから物語は始まる。

のんびりと悠々自適の生活を思い描いていた清左衛門だったが、彼のもとに様々な頼みごとや厄介事が迷い込む。
夫婦の揉め事の仲裁といった日常の些細な出来事に始まり、藩では表沙汰にできない隠密な問題の解決が、隠居の身であるが故に内々の扱いとして持ち込まれるようになる。

やがて藩の二大派閥による政権争いに清左衛門も巻き込まれるようになり、物語は静かな中にも緊張感漂うクライマックスへと進んでいく。

この十五編から成る連作には様々な人物が登場しますが、最も深く描かれているのは、少年時代を共に過ごした親友たちの過去と現在。
一番の気心知れた親友で町奉行の佐伯熊太をはじめ、若き日は将来を嘱望されていたもののやがて出世コースをはずれ、陽のあたらない人生を送ってきた男など、様々な人生模様が描かれます。
そこからは、人生のある時ある場所でどういう選択をするかで大きく人生が変わってしまう、脆く切ない宿命のようなものが感じられます。
清左衛門はいわゆる出世コースに乗った武士ですが、負けていった友に対する目線は決して勝ち誇ったものや同情ではなく、かつて同じ道場で剣を磨いた古き友たちと、過去のわだかまりを解いていかに友情を築いていくかというものです。

若き日の清左衛門に絡んだ話も沢山登場しますが、一度記憶の奥底に仕舞われた過去が昨日のことのように生き生きとよみがえり、時に苦々しい思いが彼の胸に重くのしかかります。
それは取り返しのつかない過去に対する悔いでもありますが、それが故に清左衛門は今困っている目の前の人の為に自分ができることはないかと奮闘するのです。

そういった過去と現在を結ぶエピソードの数々はまるで人生を俯瞰で眺めるような大きな時の流れを感じさせると共に、過去は決してそこに置いていかれたものではなく、地続きで人生に影響を与え続けるものであるということを実感させます。

物語を通して感じられるのは清左衛門の心に起こる変化です。長い勤めから開放され、最初はやや気抜けした感がありますが、様々な出来事にあたる彼は青年のように力強く誠実で、最後には藩の執政を大きく動かす力の一翼を担っていきます。
たぶんそれは元々清左衛門の心に備わっていたものなのでしょう。それが長い人生経験と知恵の蓄積によってより揺るぎない強固なものになっていく。
”心は歳をとらない”ということを、清左衛門の姿から教えられます。
それどころか、隠居して世俗から一歩引くことによって、より温かな眼差しと、冷静な判断力を手に入れていく。
老いてなお成長する姿は、眩しいばかりです。

私が最初にこの作品に出会ったのはNHKのテレビドラマでした。1993年、私が二十代前半の頃です。
隠居侍が主人公でチャンバラもほとんどない地味なドラマですが、秀逸な台詞のやりとりや丹念に描かれる人間の機微を見る毎に引き込まれ、今でも思い出に残るドラマです。

清左衛門役は名優・仲代達矢。老齢の渋さを醸し出しながらも、青年のような澄んだ瞳がピッタリのハマリ役で、まるで清左衛門がそこに実在しているかのような、圧倒的な存在感でした。
原作もすぐに読みましたが、ドラマ版では小料理屋の女将みさ(かたせ梨乃)との淡い恋物語、息子の嫁・里江(南果歩)の、舅に向けるいじらしいほどの気遣いと、やがて本当の親子のように心通わせていく様子などが大きく肉付けされていて、とても心温まるドラマに仕上げられていました。

親友の佐伯熊太との関係も素晴らしい。長年に渡って互いを見守り、心から信頼し屈託なく心を開いて会話できる友の存在が、いかに人生の宝であるかを教えられると共に、演じていた財津一郎のキャラクターがドラマにユーモアを添えてくれます。

原作に通低する家族愛・友情・人間愛といったテーマもより分かりやすく強調され、特に後半では血なまぐさい政権争いの中で「命を粗末にするな」といった清左衛門の切実な思いが胸にグッと迫りました。
長い人生の中で沢山の大切な人を失ってきたからこそ訪れる深い思いでしょう。


老後の生き方を描いた物語と取ることもできますが、私は若い人にこそ読んで欲しい本だと思います。
私自身もこの作品に出会ったのは二十代前半の頃ですが、隠居侍の清左衛門に深い共感を覚えたのは、そこに年代を超えた人間としての何かを感じたからであり、それ以後の心の持ち様、人に向ける温かな目線というものを教えられたからであります。

清左衛門残日録 - Wikipedia
藤沢周平 - Wikipedia
Amazon.co.jp: 清左衛門残日録 DVD-BOX: DVD: 仲代達矢,南果歩,山下真司,藤沢周平,竹山洋
Amazon.co.jp: 三屋清左衛門残日録 (文春文庫): 本: 藤沢 周平
asahi.com:三屋清左衛門残日録 - 藤沢周平の世界 - 文化・芸能
三屋清左衛門残日録

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良心をもたない人たち

最近、amazonをうろついていたら、こんな本を見つけた。
「良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖 」マーサ・スタウト

ちなみに、ここで書かれている「良心をもたない人たち」とは、こうなる。

(商品説明より要約)

一見、魅力的で引きつけられるが、身近につきあってみると、
・うそをついて人を操る
・都合が悪いと空涙を流して同情を引き、相手に「自分が悪い」と思わせる
・追いつめられると「逆ギレ」して相手を脅しにかかる
・自分にしか関心がなく、他者への愛情や責任感によって行動が縛られることがない。
・出世であれ遊びであれ、手段を選ばず自分の欲求をみたそうとするので、周囲の人はひどいとばっちりを受ける。だが本人は悪びれず、自分こそが被害者だと言いつのる。

ああ、こういう人3人ぐらい知ってる。こういう人と出会った時にどう接すればいいかを、残念ながら私は知らない。

「良心がない」というよりは、「地球は自分を中心に回っている」と思っている人達か。
常に自分が正しく、相手が間違っていると位置づける。
自分の価値観の物差しにそぐわない意見や考え方をする人を、言い負かすまで徹底的に糾弾する。その為には手段を選ばない。他人をも巻き込む。つまり、自分が受け入れられない価値観がこの世に存在することすら認めない。
大きな声で言い通せば何でも通ると思っている。自分の間違いを認めない。意見を曲げない。人の意見を聞く耳を持たない。

こういう人を上司に持つと苦労するが、部下に持つともっと苦労する。恋人だと尚更だろう。心の傷になるかもしれない。いずれにしろ、こういう人間に関わった人は苦しむ。

カスタマーレビューにも、

経済は良心の欠如で発展したといえないだろうか?野心を叶える為には良心は邪魔になる

と書かれている方がいた。そうなのかもしれない。つまり、人をも蹴落とすようなあくなき自己主張がないと生き残っていけないということだろうか。

”25人に一人”というのがどのような根拠からくるのか分からないが、私の印象では10人に一人のような気もするし、場合によっては10人中8人、というような高確率のケースもあると思う。

もうひとつタチが悪いのは、彼らは一見して人間的に魅力的に見える(もしくはカリスマ性があったりする)場合が多いので、彼らの幼稚なウソや欺瞞を見抜けずに、味方してしまう人、もしくはたやすく操られてしまうが少なからずいることだ。最初はいい人だと思って普通に接していると不意打ちのビンタを食らったり、親切を仇で返すようなことをされたりもする。
こういう人を敵に回すとやっかいだ。ああ、だから味方に回るのか。みんな賢いな。


この本では、もし彼らにかかわってしまったらどうればいいのか?事前に見分ける方法はあるのか?が書かれているらしい。俺も読んだほうがいいのかな。

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サダム・フセイン自作の小説が日本で出版へ

 自伝でも書いたほうがよっぽど売れるんじゃないか、というツッコミは置いといて。
なんと”小説”らしいです。そこにまず驚いたのですが。
 ストーリーの舞台は1500年前。ユーフラテス川沿いにある架空の小国に強大な力を持った”大国”が攻めてきて、それと戦い、最後には駆逐するという話、らしいです。
 作品中には”二つの塔”など、(これは明らかにアメリカのWTCをイメージしたものでしょう)アメリカを思わせるフレーズが出てきたり(というか作品そのものがそうなんですが)、イラクとアメリカの関係を元にあくまでフィクションの体裁をとって書かれた、ということでしょう。

 アメリカのイラク攻撃直前に書き上げ、一度ヨルダンで出版されたのですがすぐに発禁になっています。
 今回、他の国に先立って日本語訳が出版された背景には、訳者とフセインの娘の間に共通の知り合いがいて、この本の存在を知ったことから実現した、ということらしいです。

まあある意味、興味深い本ではあります。


Yahoo!ブックス - 悪魔のダンス / サダム・フセイン/著 平田伊都子/訳

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寝ずの番

映画化されたということで、中島らもの原作を読んだ。
親戚の結婚式の前の夜に、お通夜を題材にした話を読んでるのもなんだかなあと思ったが、よく考えてみると冠婚と葬祭って共通点が多いなあと、なんだか不思議な気分になった。

久しぶりに本を読んで大笑いした。そして最後にホロリときた。

冒頭から性器の名称を連呼する卑猥な会話で始まり、全編ほとんどが下ネタで笑わせてるのに、なぜか不快感がない。こっちも『中島らもだから』と思って読んでいるせいだろうか。許せてしまうのだ(すごい免罪府やなあ)。
そして最後の場面で、それはこの上ない『愛の証』へと昇華される。
やっぱりらもさんって天才やなあ、と改めて思った。

巻末のマキノ雅彦監督こと津川雅彦さんの撮影秘話も愉快だった。たぶんこの小説を映画化するなんて、津川さん以外には思いつきもしないんじゃないだろうか。予想どおりいろいろ苦労されたようである。

小堀純氏による解説には、らもさんの葬儀の様子の事に触れられていて、らもさんらしい人柄を伺い知ることができる。本の解説を読んで思わず目が潤んでしまったのは初めてだった。


らもさんのエッセー集は20代の頃によく読んだ。凡人ではない物の見方や切り口が新鮮で、一時期すごくはまっていた。
こうして数年ぶりにらもさんの本を読む事ができて、やっぱりおもしろいなあ、また読みたいなあと思って、さっそくらもさんの本を何冊か買ってしまった。

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最近映画でもドラマでも小説でも、”愛する人の死”を主題に感動の涙を誘うような話が多いような気がするが、あれにはうんざりしている。
現実の死というのはもっと殺伐としていて過酷なものだと思う。映画で流す涙はひとしきり泣きはらすとスッキリするようなカタルシスがあるが、現実は魂をえぐり取られるような、泣いても泣いても晴れることのない、底なし沼のような脱力感のある涙だ。

「寝ずの番」では、死を題材にしながらもそれを笑いに転化するような、ともすれば不謹慎とも取られるようなものだが、最後は死者への愛情を感じさせる終わり方で、なんだかとっても暖かい気持ちになった。
もし自分が死んだら、こんな風に話のネタにされて笑って貰えるような、そんな見送り方をされたい。
そんなことを少し思った。
 

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