藤沢周平作。
久々に小説を没頭して読んだ。約十四年ぶりの再読。
主人公は三屋清左衛門という、五十歳過ぎで隠居したばかりの武士。
ある藩で、藩主のご用人まで上り詰めた男だ。
彼は隠居するにあたり、「残日録」と題された日記を付け始めるところから物語は始まる。
のんびりと悠々自適の生活を思い描いていた清左衛門だったが、彼のもとに様々な頼みごとや厄介事が迷い込む。
夫婦の揉め事の仲裁といった日常の些細な出来事に始まり、藩では表沙汰にできない隠密な問題の解決が、隠居の身であるが故に内々の扱いとして持ち込まれるようになる。
やがて藩の二大派閥による政権争いに清左衛門も巻き込まれるようになり、物語は静かな中にも緊張感漂うクライマックスへと進んでいく。
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この十五編から成る連作には様々な人物が登場しますが、最も深く描かれているのは、少年時代を共に過ごした親友たちの過去と現在。
一番の気心知れた親友で町奉行の佐伯熊太をはじめ、若き日は将来を嘱望されていたもののやがて出世コースをはずれ、陽のあたらない人生を送ってきた男など、様々な人生模様が描かれます。
そこからは、人生のある時ある場所でどういう選択をするかで大きく人生が変わってしまう、脆く切ない宿命のようなものが感じられます。
清左衛門はいわゆる出世コースに乗った武士ですが、負けていった友に対する目線は決して勝ち誇ったものや同情ではなく、かつて同じ道場で剣を磨いた古き友たちと、過去のわだかまりを解いていかに友情を築いていくかというものです。
若き日の清左衛門に絡んだ話も沢山登場しますが、一度記憶の奥底に仕舞われた過去が昨日のことのように生き生きとよみがえり、時に苦々しい思いが彼の胸に重くのしかかります。
それは取り返しのつかない過去に対する悔いでもありますが、それが故に清左衛門は今困っている目の前の人の為に自分ができることはないかと奮闘するのです。
そういった過去と現在を結ぶエピソードの数々はまるで人生を俯瞰で眺めるような大きな時の流れを感じさせると共に、過去は決してそこに置いていかれたものではなく、地続きで人生に影響を与え続けるものであるということを実感させます。
物語を通して感じられるのは清左衛門の心に起こる変化です。長い勤めから開放され、最初はやや気抜けした感がありますが、様々な出来事にあたる彼は青年のように力強く誠実で、最後には藩の執政を大きく動かす力の一翼を担っていきます。
たぶんそれは元々清左衛門の心に備わっていたものなのでしょう。それが長い人生経験と知恵の蓄積によってより揺るぎない強固なものになっていく。
”心は歳をとらない”ということを、清左衛門の姿から教えられます。
それどころか、隠居して世俗から一歩引くことによって、より温かな眼差しと、冷静な判断力を手に入れていく。
老いてなお成長する姿は、眩しいばかりです。
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私が最初にこの作品に出会ったのはNHKのテレビドラマでした。1993年、私が二十代前半の頃です。
隠居侍が主人公でチャンバラもほとんどない地味なドラマですが、秀逸な台詞のやりとりや丹念に描かれる人間の機微を見る毎に引き込まれ、今でも思い出に残るドラマです。
清左衛門役は名優・仲代達矢。老齢の渋さを醸し出しながらも、青年のような澄んだ瞳がピッタリのハマリ役で、まるで清左衛門がそこに実在しているかのような、圧倒的な存在感でした。
原作もすぐに読みましたが、ドラマ版では小料理屋の女将みさ(かたせ梨乃)との淡い恋物語、息子の嫁・里江(南果歩)の、舅に向けるいじらしいほどの気遣いと、やがて本当の親子のように心通わせていく様子などが大きく肉付けされていて、とても心温まるドラマに仕上げられていました。
親友の佐伯熊太との関係も素晴らしい。長年に渡って互いを見守り、心から信頼し屈託なく心を開いて会話できる友の存在が、いかに人生の宝であるかを教えられると共に、演じていた財津一郎のキャラクターがドラマにユーモアを添えてくれます。
原作に通低する家族愛・友情・人間愛といったテーマもより分かりやすく強調され、特に後半では血なまぐさい政権争いの中で「命を粗末にするな」といった清左衛門の切実な思いが胸にグッと迫りました。
長い人生の中で沢山の大切な人を失ってきたからこそ訪れる深い思いでしょう。
老後の生き方を描いた物語と取ることもできますが、私は若い人にこそ読んで欲しい本だと思います。
私自身もこの作品に出会ったのは二十代前半の頃ですが、隠居侍の清左衛門に深い共感を覚えたのは、そこに年代を超えた人間としての何かを感じたからであり、それ以後の心の持ち様、人に向ける温かな目線というものを教えられたからであります。
清左衛門残日録 - Wikipedia
藤沢周平 - Wikipedia
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