ひとりごと

苦しみについて

人が最も苦しい状態というのは、いくら手を伸ばしても決して手の届かないものを手に入れようと、必死でもがいてる時なんじゃないかと、最近よく思う。

それが前向きな努力であって、その先に何らかの実りがあるのならまだしも、決してそうではない時がある。
本人が苦しんでいるだけならまだいい。そのことで誰かに迷惑をかけたり苦しみを与えているなら、そんなことはすっぱりあきらめてしまうべきだと思う。

人は得てして自分の手に持っているものを見ようともせずに、足りないものばかりを数え上げて嘆くものである。しかしふと自分の足元を見つめると、幸せなんてゴロゴロと転がっているものだったりする。
例えば何百着と服を持っているのに、着る服がないとさらに服を買い集めようとしたりする。なんかそういう感じに似ている。

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素敵なアドバイス

「批判するだけならサルでもできる。

 欠点をあげつらうのは簡単だ。しかし、じゃあ”こういうふうに直したらいい”とまで言える人は少ない。そこまで分かってる人なら、おそらく自分でやるだろう。

 欠点を指摘するだけのアドバイスなど、あまり役には立たない。
 その意見すらも、単なる好みや主観でしかない場合が多い。

 意見や感想を言うのは自由だが、だからといって言われた側がそれを全部受け容れなければいけないということもない。

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一般論

一般論を語ることの難しさというのを、つくづく感じる。
よほどある専門分野に精通し、研究しつくしたり客観的なデータを膨大に持っている場合は別として、日常で語られるいわゆる一般論というのは、自分の見聞きした知っている範囲の事柄を一般化して論じているに過ぎない。つまり、その視界に入るものが自分にとっての全ての世界と錯覚してしまう。視界の外にあるものは存在しない事柄として扱ってしまう。

例えば「○○は面白くない、面白くなくなった」みたいなことをついつい言ってしまう時、それが本当に面白くないのか、自分が面白い○○を単に知らないだけなのか、自分に○○を面白がれる感覚がない、もしくは失われてしまってしまっただけなのか、それは分からない。この○○には、いろんな対象を代入してみると良いと思う。

つまり、全て主観。正しい間違ってるとか良い悪いの問題ですらない。ある人が正しいと思っていることが別の人にとっては間違ってると感じられるかもしれない。同じ人間でも置かれる立場か変われば意見が変わることもある。そんなことで正しい間違ってるの言い合いをしてもしょうがない。
「私はこう思います、あなたはどうですか」「いやあなたの意見も分かりますけど、私はこう思いますよ」「なるほどそういう意見もあるんですねえ、いや参考になりました」ぐらいがちょうどいいと思う。
こういうのを行儀が良すぎて面白くない、白黒決着付けないと気が済まない人もいるようだが。ていうか自分が正しくて相手が間違ってると認めさせなければ気が済まない人もいるようだが。

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『ある町にて』

 私はある町にいる。

 この町を歩いていると、いきなり見ず知らずの人から阿呆馬鹿呼ばわりされたり、批判罵倒されたり「お前の意見は間違っている」とか言われてびっくりすることがある。
びっくりするだけならまだいいが、私のような小心者はそれだけで気が萎える。

 阿呆馬鹿言い合ったり本音をぶつけ合ってもそれが許されるのは、そこにお互いの信頼関係がある時のみである。それには、初めましての挨拶があり、お互いの価値観や物事の好み、根底にある価値観などをを知る為の会話の積み重ねと時間が必要になる。
 そういった一切の手続きをすっとばしていきなりキツい言葉を浴びせられるので、それに耐えられない、慣れることができない人はこの町から出て行くことになる。

 そのうち、なるべく阿呆馬鹿言われないように気を付けて物を言う知恵を身に付ける。地雷をなるべく踏まないようによけながら、突っ込まれる隙を作らないように、肝心な所はぼやかして、言い回しや言葉などを巧みに考えながら。それが唯一の自衛手段である。ただ、その為に言いたいことが真っ直ぐには伝わりにくくなる。

 しかしふと我に返る。なんでこんなにびくびくしながら物を言わねばならんのだと。別に誰かを貶めたり傷つけたりするつもりはない。何か物事に対して「俺はこう思う」と言うことに、なぜそんなに恐れを抱かなければならないのかと、ふと思う。

 皆それぞれ違う意見があってそれぞれの意見を言うことは別に構わない。賛成や肯定だけを良しとするわけでもない。違う価値観の人間が集まっているのだから、反論はあって然るべきである。
 しかし、その為に相手の意見や人格を否定する必要はないし、居丈高に物を言う必要もないと思うのだが、そうは思わない人もいるのだろう。
 相手の意見も尊重しつつ自分の意見も主張することで、互いに気持ち良く前向きで建設的な対話ができると思うのだが、そんなものはハナからこの町では求められてないのかもしれない。
 批判をトリガーとしてしか自分の意見を述べられない人もいるようだが、自己主張したいならばそれはそれとしてやればよい。何も批判するべき対象をわざわざ持ち出してきてやらなければできないということもないと思う。
 それに、主観に主観を持って対抗し、どちらが間違ってる正しいの勝負をしても、らちがあかないばかりか、お互いが気分を害するだけである。

 イヤなら私もこの町から出て行けばいいのであるが、ここにはいい人たちも沢山いるのでなかなかそれができないでいる。今日もびくびくと地雷を踏まないように気をつけながら、歩いているのである。

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人間のウラとオモテ

またCMの話なんだけど。
塚本高史君の出てる”an”のCMで、彼女のお父さんに
「笑ってるからといって君を受け入れてるとは限らないんだよ~」って言われるの。
このセリフって、なかなか名言だと思うんだよね。

例えば、目の前ではニコニコしてるくせに、
その人がいなくなった途端に悪口言い始める人っているよね。

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”夢”とは


小さい頃は「夢を見つけなさい」と言われる。
年頃になってその夢が見つかると、「そんな夢ばっかり追ってないで」といわれる。
夢とは、得てしてそういうものである。

夢って、”呪い”のようなものだと思う。
そのせいで苦んだり、自分の夢に押しつぶされそうになる。
夢を見つけてしまったばっかりに人生を踏み外す人もいる。
「好きなことができて幸せそう」という人もいるけど、
そんな甘くておいしいお菓子みたいな物じゃない。

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